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大学を卒業後、僕は新卒で消費財メーカーに入社しました。営業職としてキャリアをスタートさせ、その後本社に転勤。念願のマーケティング部に配属されました。ブランドマネージャーとして、年間何十億もの売上・利益予算責任を担う、やりがいのあるポジションにいました。
2022年、さらなるステップアップを求めて外資系原料メーカーへ転職。最高マーケティング責任者(CMO)として、日本法人の立ち上げに関わり、創成期の事業拡大をリードするポジションに就きました。
「このままキャリアを積んでいけば、必ず明るい未来が待っている」
そう信じていたはずなのに、心の奥には違和感がありました。年収は1.5倍に増え、ステージも変わったのに、どこか満たされない日々。年収、肩書、成果。すべては自分の外側にある基準に囚われていたのです。
「大手企業を辞めて、新たな挑戦をしたんだ。絶対にあきらめない」
自分にそう言い聞かせながらも、心の声を無視して走り続けていました。しかし、徐々に仕事のパフォーマンスが落ちていくのを感じていたのです。
思い返せば、半年ほど前から異変がありました。成果が出ない焦り、自己肯定感の低下に苦しむ日々。それでも「自分のメンタルは強い」と信じ、無理を重ねていたのです。昔から周りには「お前は鋼のメンタルだ」と言われ続け、自分でもそう思い込んでいました。
そんなある日、社長から「このままのパフォーマンスが続くなら、身の振り方を考えた方がいい」と告げられます。事実上の退職勧告でした。
「あぁ、クビになるのか…」
その言葉が刺さった瞬間、右目にモヤがかかったように視界が急にぼやけました。プレッシャーと不安が一気に押し寄せ、体が悲鳴を上げたのです。数日で視界の異常は治まりましたが、あの感覚は今でも忘れられません。
その晩、妻にすべてを打ち明けました。彼女は深刻な表情でこう言ったのです。
「絶対に病院に行った方がいい。明日一緒に行こう」
その言葉に、少しだけ気持ちが楽になりました。翌日、妻と訪れた心療内科で告げられたのは、
「適応障害と抑うつですね。今すぐ仕事を休んでください。」
「あ、病気だったんだ」
そう思った瞬間、これまでの重圧が少しずつほどけていくのを感じました。
その後、会社とは協議の上で円満に退社することに。
強制的に生まれた時間の中、僕は家族や友人の温かさに支えられながら過ごしていました。
しかし、まだ自分への失望や社会復帰への焦りが頭を離れません。
そんな時、ふと目に留まったのが『世界一やさしい才能の見つけ方』という書籍。
普段あまり本を読まない僕ですが、その本にはなぜか引き込まれ、一晩で読み切りました。
「才能は包丁のようなもの。すべては使い方次第。」
この言葉が深く胸に響きました。ピカチュウがはっぱカッターを覚えても意味がないように、自分に合った技を磨かなければ、本当の強みは発揮されない。これをきっかけに、自分の才能とそれをどう活かすかを考え直すようになりました。
それから3か月間、自分と向き合う日々が続きました。
自分の価値観は何なのか?
どんな才能があるのか?
それをどう活かすのか?
そんな問いを繰り返しながら、ようやく自分の目指す方向性が見えてきたのです。
「自分の足で人生を歩んでいる」という感覚が芽生え、内から湧き出る欲求に突き動かされるように行動を始めました。
そんな中で出会ったのが、プロデューサー川原卓巳さん。
卓巳さんとの出会いは、新たなステージに進むための大きな転機でした。
「人生は出会いで変わる。どう出会ったかで変わる」
彼の言葉は深く心に残り、彼の生き方そのものが、僕の経験や才能を活かせるロールモデルとなったのです。
この出会いが、プロデューサーとしての新しい道を切り開いてくれました。
無理に周囲に合わせようとしていた「自分らしくない」生き方を少しずつ手放し、見えてきたのは本当に大切なものに囲まれた自分の姿でした。
家族との時間、信頼できる仲間、新しい挑戦、そしてお客様との深い対話。これが僕にとっての「人生の余白」だったのです。
手放すことで見えてきた自分らしさ。
もちろん、簡単なことではありません。僕自身、さまざまな不安や葛藤の中でたくさん手放してきて、その結果「自分らしさ」に気づきました。
だからこそ、僕に伝えられること、提供できることがある。そう確信しています。
会社員を手放したことで生まれた余白は、次の一歩を踏み出す原動力となり、今もなお、僕を突き動かしています。
これが「自分らしく生きる」ということ、「心の声を聞く」ということです。
あなたにも必ず、手放すことで広がる余白があります。その一歩を、ぜひ踏み出してみてください。